「部屋名のない居場所を楽しむ!」 03 納谷建築設計事務所×HOWS Renovation
戸建てリノベーションを通して共に新しい住まいを提案する納谷建築設計事務所とリビタHOWS Renovation。今回新たに竣工したのは、横浜市青葉区にある和風の外観が印象的な「しらとり台の家」。リノベーションで生まれた一見奇抜に見える室内の大きな土間は、「もはや土間ともいえないようなもの」ともいえる新しい体験を秘めた場所。これまでの記憶で判断するのではなく、自分のフィルター、つまり固定観念をはずして向き合ってみると、住まいはもっと自由であっていいことに気づかされます。日本の民家にまでさかのぼり生まれた住まいを通じて感じてください。
1993年納谷建築設計事務所設立。個人住宅のほか、最近ではこども園の校舎や気仙沼での震災復興の仕事もしている。釣り、バイク、車、キャンプ、カヌーなど多趣味。 (http://www.naya1993.com/)
リビタのHOWS Renovation担当。事業・プロジェクトの企画やセミナーの開催、WEBサイトの運営など戸建てリノベーションに関わること全般に取り組む。 (http://www.rebita.co.jp/people/people67)
Scene3:自分のフィルターをはずしてみる「しらとり台の家」
田中 :
「しらとり台の家」は、築28年の木造一戸建てをリノベーションした住まいです。もともとが和風の建物で、納谷さんが最初にご覧になられた印象はいかがでしたか?
納谷 :
また難しい案件がきたと思いましたよ(笑) ここは和風っていうとおり“和風”なんです。完全な和ではなく、和“風”。それをどう解釈するか、ということなのですが、僕は逆にもっと和をさかのぼって、日本本来の民家を意識した建物にリノベーションしようという提案をしました。
田中 :
まずはこの大きな土間がとっても印象的だと思うのですが、昔の民家の土間は住む人の職業と密接している場所でしたよね。例えばそこでわらじをつくったり、農作物を洗ったりとか。そうやっていわゆる住宅でできること以外のことができる場、というのを意識されていたのでしょうか?
納谷 :
昔の民家にあった土間の使い方をそのまま当てはめても、現代の生活ではぜったいに使いにくく、ただ「土間をつくりました」っていう憧れの言葉の響きだけになってしまいます。人間は変わっていっているわけだから、今の暮らしに直結している土間がいいと思ったんですよね。そこから“靴を脱ぐ”土間にしようとか、“床に座る”土間にしようとか。そうすると仕上げはモルタルそのままではなく、タイルの表面のようなコーティングをしてあげようとか。だんだんそうなってくると、もはや土間ともいえないようなものになりました。
田中 :
“床に座る”土間にしようというところをもっと聞かせてください。
納谷 :
あくまでも、みんながイメージする土間ではなくって、新しい土間です。僕も含めて、結局みんな記憶で判断しているところがあって、土間っていうと、自転車を入れたりアウトドアのもの置いたり、そういった使い方を想像します。でもそうではなくて、むしろもっと綺麗な土間で、触っても汚れない、逆に掃除もしやすいですよね。いままでの土間の概念を覆す、もはや土間ともいいたくないような場所です。
田中 :
土間から想像する使い方から入らないで、みんなが思っているフローリングの床とおんなじような感覚で過ごしてみる、そういったイメージってことですよね。
納谷 :
1回自分の中のフィルターをはずしてみるといいと思うんです。そうすると、急にここが生きてくると思います。気を使わないかんじがあるし、ちょっとラフさは残ってて土のものも置いてもいいようなかんじもある。フローリングでは抵抗があることもやれて、それって実は新しい体験だと思います。そうやって住まいに向き合ってみると、きっとどんどんやりたいことが想像できてくると思います。だから文字だったり記憶で話したり考えずに、とにかくここにきて感じてほしいですよね。横になりたいと思ったらなってみるのです。
田中 :
昔の民家の「間仕切り方」って、障子とか襖(ふすま)とか暖簾(のれん)とか、壁ではないもので仕切っていましたよね。しらとり台の家は、間仕切りにあえて壁ではなくテキスタイル(布)を用いていますが、そのあたりのお話しを聞かせてください。
納谷 :
ここ(土間)は結構広いですよね。住む方はそれに不安もあるだろうから、少しイメージするきっかけになるように、テキスタイルデザイナーでもありコーディネーターでもある安東陽子さんにも参加してもらいました。間仕切りには色が入っていたり、窓側はニュートラルな雲みたいなものになっています。
田中 :
ガラスの引き戸もここにあって、空間を仕切るという意味では同じような役割がありますが、あえてテキスタイルを用いた理由を聞かせてください。
納谷 :
ガラスは硬いから、向こう側が見えるけれど完全に閉じられます。テキスタイルの間仕切りはもっと簡易なものであるから、閉めると向こう側は見えないけれど、つながっているかんじがあると思います。そういうつながり方っていうのは、昔の障子とか襖(ふすま)に近いですね。
田中 :
障子には空気が通る印象がありますよね。紙も布も向こうにいる人の温度感というか存在感がじわじわくる感じは似てますね。
納谷 :
日本の民家には行き止まりがありません。障子とか襖で部屋を分けられたり、オープンにもなったり間取りが変化します。しらとり台の家も水まわりを中心に自由に回遊できて、民家のような自由さがあるのは似ています。
田中 :
しらとり台の家では、外観や2階の個室が並ぶ間取りなどは、既存のものを生かしながらリノベーションをしています。そのあたりはすごく面白さがありますよね。
納谷 :
リノベーションの醍醐味っていうのは、古いものがあるから新しいものが映えるし、新しいものがあるから古さも映える。それがお互い影響しあうところがすごく面白いと思います。
田中 :
既存を生かすという意味では、しらとり台の家が竣工してはじめてここに来たときに、玄関を入って正面の場所が、なんともいいいようもない大きさの場所に感じて、既存があったからこそ副産物的に生まれた場所なのかな?という印象を受けたのですが、それは設計で意図されていたのでしょうか。
納谷 :
玄関、ホール、リビングダイニングって、これまではきっちり壁で分けられていたものが、壁がなくなっただけです。こっち(ダイニングテーブルが置いてある写真向かって右手)にくるとそこはリビングなんですよね、でも入った瞬間はホールに感じたと思う。きっと意識の中に玄関入ったらホールっていうのが僕らの頭の中にはあって、だから違和感を感じたんだと思います。
納谷 :
2階もそうで、もともと廊下だった場所がいわゆる廊下ではなくなっています。1つの場所が1個の機能よりも、2個3個になっていたほうが空間は豊かになっていきます。「ここはこれをする場所です」っていういわゆる部屋の名前がつかない、絵の具が混じり合うようなイメージです。
田中 :
それはHOWS Renovation 1号物件の「井の頭の家」も、納谷さんの自邸「360°」もそうでしたよね。
田中 :
素材のことも聞かせてください。もともと舞踊の舞台としてつくられていた場所に貼られていた桧(ひのき)のフローリングはそのまま生かしたものですね。
納谷 :
あの板が単純にすごくいい板でよかったので、表面を磨いてそのまま生かしました。それは2階の梁や小屋組もそうだし、玄関扉や外観の格子もそうです。たとえば漂白して存在を薄くしたりなど操作はしていて、そうやって現代の建物に合うように近づけています。そのあたりは現場でたくさん話しをしてすごくうまくいきました!
田中 :
キッチンのあたりを、あえてパーケットにしたのはどういった設計意図でしょうか?
納谷 :
この部分はすごく悩みました。先ほどの桧(ひのき)と馴染ませようとしてもぜったいに馴染まないから、あえてまるっきり変えていこうと。樹種の違いや、幅の違いだけだとまだ似てるから、まるっきり違うものにしました。
田中 :
バーチ材は主張しない感じがありますよね。
納谷 :
ここではなるべくニュートラルなものにしたくて。でもちょっと変化とか表情があって、なるべく目立たないもので差をつけたいという意図です。
田中 :
ここのカウンターは6m以上あって、人工大理石の天板になっています。
納谷 :
これまでで一番大きいキッチンです。カウンターはキッチンの一部でもあるし、家具でもあるし、そもそもキッチン自体が家具でもあるし、すごく曖昧な感じです。
田中 :
さいごに。これからここに住まわれる方へのメッセージをおねがいします!
納谷 :
それは来てくれる人が感じてくれるものだと思います。いままでの記憶だったり、固定概念だったり、それをはずして見てもらいたいです。ここを“住みにくい”と思ったり、“奇抜なもの”に感じられるのは、固定観念をもって見るからだと思うんですよね。はじめて家を見た人の気持ちになったら、ぜったいそんなことは思わないはずです。逆に今住んでいる家が、変な教育のもとに住まわされていて、それが当たり前ではないと思うんですよね。
田中 :
そうですね。今日は某イベントでたくさんの方がいらしていましたが、みなさんそれぞれが居場所を見つけてとてもくつろがれていたのが印象的でした。心地いい場所って、人によっても違うし、天気によっても違う。そんな中でここのテラスは、そのまま床に座ってみるとさらに落ち着いて、すごくくつろげる発見がありました。今日はどうもありがとうございました!
文:田中亜沙美(ReBITA)、撮影:吉田誠(特記のないものはすべて)